私にはある程度、自分にはこれが合ってるなーって思う「生き方」「食べ方」があって、
今のところ自分は「こういうことが本当っぽいなー」って思う事があって、

で、今、人に原稿を頼まれている中ですっごく迷いがある。

論じるってキライ!
(正確にいうとキライになった、以前は正義感からなんとかして論じようとしていたかな・・・)。

例えば。私は味噌汁が好きだし、ほどほど食生活に取り入れることは合ってると思う。

でも味噌汁一つであれこれ言われるわけで、

アメリカで出版されているローフード界の本では
「味噌汁は熱すぎるから体内を火傷させていて、味噌汁を飲んでいるから胃がんになる」っていうようなことが書いてあったけど、(ちなみに私は「舌が火傷してないなら内蔵も大丈夫じゃないのかなぁ???」)

たとえば「Veggy」という雑誌のある記事では
「味噌汁が日々の健康維持に有効なのはもちろん・・・・がんを予防するにも強い味方となることが様々な研究で発表されている」と書いてある。

そしてある時期は減塩が流行って味噌汁も敬遠される対象になったけど、

「伝統食の復権」という本では「塩の量より濃度が問題」と説いていて、
魚のぬめりをとるときに塩を使うように、10数パーセントもの高い濃度だと胃の粘液を洗い落とす事になり、防除組織を持たない胃は胃癌になる可能性もある。
でも食塩濃度0.9%ほどの生理的食塩水に近いものであれば問題なく、味噌汁はそれくらいだから問題がない
(減塩に対しては、自然塩は不足しているが化学塩をとりすぎているがために不健康という説明もできる)

何かを論じるとき、

どこかに焦点を当ててロジックを成立することはできるけど
色んな視点、切り口があるから、何か正しいと思っている事でも抜け落ちる部分もあれば、
説明していない部分で他所から他所の視点で批判されることもある。

何かを論じるとき、

「何が正しい」と言った時に、同時に暗に「何かは間違っている」となったり、
その正しいと言った事に対して「それは間違っている!」とか批判が入る。

私は誰かを「間違ってる!」って批判したくないし、
自分が論じた事に対して批判的なことをモヤモヤと感じさせたくない。
つまり批判させたくない。
モヤモヤするってちょっと腹立ったり気持ち悪かったりするから。

多くの人が超まじめで、
それぞれに何が正しいとか間違っているという「正義感」がある、


私はそれぞれが精一杯に、それぞれの正義感で生きている事を尊重したいから
何かを論ずるのは、小さい集まりでその場にいる人に求められた時にしかしたくない。

それぞれが正しいと思う事、合ってると思う事をやってみればいいやん、みたいな・・・。

それに批判しあってても、その人ら同士は本当は
「みんなが健康になって幸せをつかむため!」というような
目的が同じだったりするわけじゃないですか。
同じ目的地に向かっているのに対立するなんて・・・・。
そもそもそういう「良心」から生まれたそれぞれの研究結果だと、
そこを尊重しあって何かを話し合うならいいと思うんだけどね。


何か完璧な論を言ってる人なんていないと思う。
健康や人や世界の仕組みを語るっていうのは、宇宙を語るのと同じ事だと思うのだけど、
そんな広くて深い世界を完璧に解明している人なんていないわけで。

ましてや自分なんていかほどのことを知っているのだろうか・・・・。

人に解明された世界だけでも、
私にとっては追いつけないくらい深い世界だったりするのだけど。
でも人間は解りきるってことはまだまだまだまだまだまだ、なさそうだ、
そう謙虚な姿勢でいることがいいと思う。